僕がブクブクしているだけのブログ

何か凄いブクブクしています

 

 

乳房を発作的に切り落としたくなる。

まあ、それだけなんだけど、とにかく乳房を発作的に切り落としたくなる。突然ふと乳房を切り落とさないとと思って、これがなければと咄嗟に両手で包んでみたりして、想像の世界では何度も何度も乳房が切り落とされているのだけど、別に実際切り落として乳房がなくなったとしても僕は女だし、どこまでいっても女だし、生きてる限り女だし、僕とか言ってみても結局女だし、月に一回肉の間隙から血があふれ出すし、つうか普通に痛そうだし下手したら死にそうだし乳房の代わりにペニスは生えてこないしおちんちんを取り戻すみたいなスローガンそれなんて去勢不安みたいな。性別なんてなくなっちまえよと思っては、無くなったら無くなったで困るだろと冷静に独り言ちて無。そういう、人間として立派に生きているのだけれども、まあ誰も褒めてはくれない。分かる分かる。自分でも褒める気にならない。そういう話で。あー。笑える話なんですけどね。他者にかけられる呪いよりも自分で自分にかける呪いの方が重大に問題だと知ってはいるのだけど、呪いをかけられるもんだから、僕達は。僕達は呪いをかけられる存在として生きるのがデフォルトみたいで、馬鹿にされながら生きるのが普通みたいなところあるよね、まあ少なくとも馬鹿な僕が生きてたらそうなるの分かる分かる。面白いね、座布団一枚。

「頭でっかちで理論武装してるけど、ほんとはどエムで弱いんでしょ?俺が君の知らない世界を教えてあげるよ」

一例として例えばこういうこと言われる人生。初対面のおっさんに。こういう例えに全く困らない人生ってなんなんだろうと無になりそうになるが、取り急ぎ、理論武装って何っていう話で、一人でぼんやり飲んでて突然話しかけられて普通に大学院生ですつっただけで理論武装って何っていう、なんかこういう絡まれ方するみたいな、まあここまでひどいのはなかなかないけど、必死で弱そうなところを探られて、マウンティングっていうのこういうの、マジで本気であるある。一人でこっそり飲むのを趣味にしようかなと思ってたのに、一人飲みして美味しいお店を探す気力もなくなってやめた。緩やかなベールに包まれた素敵な世界なんてないのですよ、先生、この世界はソリッドで生々しい世界なのですよ。僕の知らない世界、それは人間が生々しい支配‐被支配の関係項を奪い合うやり取りを行う生きるか死ぬかの世界のことか。それなら知らなかったなあ、知らねえおっさん達に教えてもらっちゃった。飲み屋だけじゃなく今までの人生で美容院とか普通のお店とか、なんかなんなんだろっていう。僕がなんかお前たちを不愉快にしたのかい?したのですね、ええ分かります。訳の分からないヘラついた女が某大の大学院生という属性持ちなのが気に食わないんですね。知ってます知ってます。だから内面にずかずか土足で入り込んできて上位とれそうな部分をえぐってこようとするんですよね。知ってる知ってる。ごめんねー。女は馬鹿な方がいいんだもんね、女は馬鹿な方が愛されるんだよね。言われた言われた。女はかわいげないと駄目だもんね。男から可愛がられなくて愛されないもんね。女は男から愛されてナンボらしいから確かに私はナンボの価値もないね。今まで何度も聞いてるから皆まで言うな。僕にかわいげがないから内面にずかずか踏み込んでかわいげを探してやってる感動的なボランティア精神なんですよね。今までたくさんの駄目出しアリガトーゴザイマシタ。ベンキョー、ニ、ナリマース。

呪い。吐き出す。フェーズ1。

見た目だの所属だのそういった属性に引きずられる人間って一定数いるよねっていうだけのよくある話なんだけど、なんかそういう人間が社会にかなり多いのが問題で、言いたいのはいつも変わらず僕は人間だっていうことだけで、それだけなんだけど、それはあんまし上手に実現されない。元後輩とバスの中で話していたのはというか元後輩がぽつぽつと話してくれたのはつまりこういう話で、どんな格好してもいいじゃん男らしさとか女らしさとかそんなの関係ないじゃんとにかく人間として生きたいっていう話で、彼に何があったのかあるいは何もなかったのかは知らないけどとにかくそういう話をされたのが昨日の夜で、完全に正しい事しか言ってないのに、だからこそかもしれないけど、なんだかすごく泣きそうになって、「私たちは男とか女とか関係なく人間として生きていこう」と彼と約束して別れた。人間なのに人間として生きるのがこんなにも難しいなんて、頭がどうにかなりそうで、薄っぺらいものを見るような平板な目に辟易として、昔の恋人に無理やり迫られた時の目とおんなじだと思って反射的に思考停止を繰り返して静かに心を潰していって、実は僕はしっかりとした体積を持つ人間でして、人間は感情というものを持っていて、みたいな、そういうことをいちから説明しないと駄目なのかじゃあ無理だなという諦念に頻繁に巻き込まれる日常に疲れる。みんな疲れている。疲れている人が多すぎる。歪んだ世界でまっすぐ生きれば壁にぶつかってしまうのは当たり前で、我々はまっすぐ過ぎて、きっとその分傷ついている。そうでも思わないとやってらんないよ。つか、そうでも思わないとやってらんないこのワールドってどうなんって冷静に考えたらそうなる。地球上の男のちんこを全部千切って海に投げ捨てたらそれがナマコになったのです的な民話展開全開にしてやろうかすわヴァギナデンタータ、みたいな憎悪の炎を燃やして街を全部一回更地にしてやろうみたいな気持ちであるがそこは私大人ですから常識と理性があるし、良識ある素敵な男性方も普通にいるって知ってるからそっちに憎悪は向かなくて結局どうあがいても最終的に憎悪が向かう先が自分になっちゃうのがよろしくない僕の悪い癖で、冒頭に戻って発作的に乳房を切り落としたくなる。想像の世界で幾度となく繰り返し切り落とされ地面を濡らしてきた僕の乳房と血とリンパ液は幽霊になってずっとまとわりついていて、精神衛生によくないっていうのを加味してどうにかしないとと思いつつどうにもなんない僕が存在しているこの世界。ぐちゃぐちゃの脳を詰め込んだ頭蓋に焦がした飴で蓋をすることが推奨されている世界にようこそウェルカム。端的に言ってこの世は本当にカラフルで素敵な理想郷でしかないよね。

これまで20年近くどんな目にあっても黙って我慢してきたんだから、ちょっとの皮肉を言うことくらい許してよ。こうやって性格の醜悪さが露呈して、また人と愛が遠ざかってく。乳房を切り落とせ。

 

 

 

 

 

3月末に祖母が死んだ。12月末に死んだ祖父を追いかけたのだろうか。そんな死だった。老人ホームで夜中に「気分が悪い」と言った後あっさり死んだ。私が聞いたのはそれだけだった。

祖母はどこにでもいる普通の祖母だった。祖父が死んだとき、祖母の手を握って、励ましたことを思い出した。あれが最後の会話だった。嘘はなかった。罪悪感はあった。

ぼんやりしていたら葬式は終わっていた。周囲の人間はやはり泣いていた。感情はどこまでもフラットだった。好きでも嫌いでもない有名人が死んだ第一報を聞いた時のような感情の流れしかなかった。泣いていない親族は私と弟だけだった。祖父の葬式の時も、泣いていないのは私と弟だけだった。弟の運転する車で火葬場に向かった。二人きりの車内で、「そんなもんだよな」と弟が自分に言い聞かせるように呟いた。弟を盗み見た。まだ若いのに既に髪が薄い。可哀そうだと思った。弟の頭部から目を背け、フロントガラス越しの長閑な風景を見つめながら「そんなもんだよ」とだけ私は答えた。開けた窓から侵入してくる春の日差しが喪服に染みた。「姉ちゃん、スピーチのとき泣いてたな」と弟はおどけるように言った。今回は一番上の姉がスピーチをしていた。「姉さんは優しいからね」と答えて、脳内で長く息を吐いた。

火葬場に用意されていた弁当を幼い姪に食べさせた。咀嚼のたびに膨らむ頬は赤く瑞々しかった。この世に残った祖母の骨は黄ばんだ灰色だった。熱気を纏うそれを箸でつまんで壷に入れた。

その日のうちに特急列車に乗って帰った。疲れることもなかった。なにも起こらなかったのとまるで同じだった。

祖父が最後まで手放さなかったのは預金通帳だった。クリスマスにその預金通帳を盗み見た。それを電話で指示された。高級な老人ホームに入ると言っているが、それに足る金額を本当に祖父が有しているのかが親族たちの心配事だったのだ。手術中邪魔だからと祖父に預けられた鍵を使い、病室の金庫を開けた。必要なこととはいえ、本当に浅ましいことをしていると思うと脳が歪むようだった。そこに印字されていた見たこともない数字の羅列が祖父の人生の総てだったのだろうか。今となっては分からない。祖父はもういない。そして祖母もいなくなった。見たこともない金額の紙幣と宝石と家だけが残った。それがなんだというのだろう。我々は一体なにを残されたというのか。死を喜ぶ薄暗い感情とどこまでも動かない凪の海のような無感情。そんなものは欲しくはなかった。だが、結局それ等が残されてしまった。

1月に死んだ小鳥の写真を未だにきちんと見ることができない。死んだ瞬間に縮こまっていった小さな細い身体を今でもふと思い出す。寂しがり屋で身体が弱くて頭が悪かった。まるで私みたいだと思って可愛がった。でも死んだ。まだ2歳だった。もうすぐ3歳だった。彼女を私が殺したのではないだろうかと荒唐無稽な罪悪感がどうしてもとれない。私が祖父の死を笑ったからこそ、葬式の次の日に奪われたのではないかとどこかで思っている。神は与え、そして神は奪う。

「それらの出来事の影響が出ているのでしょう」と人は言った。喜ばしい死と身が裂けるほどに辛い死と凪の海のような死。それ等が三か月のうちに起こったのが、特に前者ふたつが連続して起こったのが、原因かもしれないという。そうかもしれません、と言う私に「だから時間がたてば落ち着いてくると思いますよ」と人は励ますように言葉をかけた。時間がたてば。確かにその通りだ。大体の物事は時間がたてば解決する。ある程度割り切って生きるしかない。人間の有するシステムというのは実に奇妙だ。遅れて影響が出てくるというのは一体どういうことなのだろう。

日常を普通に生きているが、次の瞬間には死んでいてもおかしくない。それは様々な意味でそうだ。いつなにが起きるかなんて誰にも分からない。いくら自らの生存や存続を心から望んでいても、ぷつんと切れたら最後、そこで総てが終わるかもしれない。深い穴の上に張られた綱の上を歩いているのが、我々の生であり日常だ。いつかは全員どのような形であれ穴に落ちていく。

もう少しどうにかならなかったのかと誰に問うわけでもなく問いかけている。たぶん自分に向かって問いかけている。特に解答はない。問いかけること自体に意味もない。

もう少しだけでもいいから、総てがどうにかならなかったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

へっへっへ、どうもどうも。なんかお久しぶりな気がしますけど、まあ実質5日ですか。そんなに経っていませんな。へっへっへ。しかしブログを書くのも久方ぶりですねえ。最後に書いてからまあ色々とありましてね、私の方もね、やれやれと思う事やらなんやらがね。まあいい事はそんなになかったですねえ。色々は色々ですからねえ。

クリスマスがなくてねえ、去年は。節目になる行事を自分なりに解消出来ないのはなんとも気持ちの悪いものでしてねえ。クリスマスは好き勝手に本でも読んで過ごす予定だったんですけど、祖父が手術するってのに母親も父親も病院に行けなくなっちゃってね、それで私の召喚ってなわけでね、朝早くに故郷に帰って夕方遅くに帰ってきたもんですから、折角のクリスマスがパーですわ。まったくもってけしからん、薄情?そんな事あるもんですか、うちの祖父を知らないから、あなたそんな事言えるんですよ。うちの祖父はね、最低な人間ですからね。自分勝手で乱暴で怒鳴ればどうにかなると思っていてね、身内の人間をステータスでしか判断できないし、嫌味な事ばかり言うし、守銭奴で、人間を人間と思っていない人でしたよ。近しい人間の事は自分を満足させるための召使いか奴隷だと思っていた人でね、私は小さい時から本当に祖父の事が嫌いでした。手術が無事成功したと医師から聞いた時ねえ、本当の事を言うと心の底から落胆したんですよ。なんで死ななかったんだ、なんで失敗しなかったんだ、と思ってね。眠る祖父の横に座っていながら、死ななかった祖父を睨み続けていました。人工呼吸器も輸血パックも生体情報モニタも全部が憎くてねえ、上部では祖父の腕を握って手術成功してよかったねと言ってね、でも心の中では真逆の事を考えていました。まあ手術自体が死ぬような内容でもなかったですからねえ、病気でもなんでもない、怪我に関する手術だったんで落胆するだけ期待しすぎでしたね。私は小さい時からこんな人間でしたよ。昔から親族が皆早く死なないかなと思っていました。自由になるにはそれしかないと信じ込んでいました。まあ、昔から憎んでいたんでしょうね、祖父の事を。ええ、そんな感じで去年のクリスマスが上手く過ごせなくて本当に落胆したという話がまずひとつあってね、え、祖父ですか。死にましたよ。

いやはや、簡単な怪我の手術だし、しかも前日までピンピンしてると聞いていたんでね、30日の朝早くに連絡が来た時は笑ってしまいました。「ざまあないわ」と呟いてまた笑いました。酷い孫がいたもんですねえ。曲がりなりにも人が、しかも自分の祖父が死んだと言うのに、最初に思ったのが「ざまあないわ」だなんてねえ、しかも笑いながら。いいですよ、分かってますから、最低なのは知っていますから、いくらでも責めてもらって構いません。寧ろ責めてもらった方が楽なんですよ。困った事にね。

まあそんなこんなでバタバタとねえ、実家に帰って葬式の準備でしょう。喪服を買ってあれもこれもとしてね、葬式で孫代表でスピーチをしなさいと言われてね、最初は断ったんですよ。だってそんな場で話せるような思い出がそもそもないですし、何より憎んでいた相手を偲ぶような事なんて口が裂けても言えないですからね。不誠実で嘘でしょう、そんなの。自分が後からきつくなるだけだと分かっていたんでねえ。でも他に誰もいないと言われちゃって、了承してしまってね、母親に頼まれるとつい了承してしまうのは本当に私の悪い癖で、心のどこかではまだ愛されたいのかもしれませんねえ。まあ葬式のスピーチなんてまあ短いもので、5分以内でと言われて色々考えたんですけど、本当に言えるような思い出がなくてね。困ったなあと頭を抱えました。暗い中ぼんやり天井を見つめながら考えたくもない死んだ祖父の事を考えてました。死の匂いがしましたねえ、流石にね。

隣人は清廉潔白でねえ、隣人っても本当に隣に住んでる人じゃないですよ、物の例えですよ。或いは上からの自分の声とでも言いましょうかね、取り敢えず自分の清廉潔白な部分がね、繰り返し繰り返し責めるように言うんですよ、「お前の望み通りにあの男は死んだぞ」。罪悪感を抱きたかったんでしょうかね、他人の死を望むというのは良くない事ですから。他人を最大限に呪うわけですから。昔から死を望んでいた人間が実際死んだ時にねえ、罪悪感を持たないなんてねえ。でもねえ。でも、いくらそう言われても罪悪感なんてこれっぽっちも湧いてこないんですよ。何度繰り返し「死を望んだ人間が本当に死んだぞ、どうだ」と言われてもね、ヘラヘラ笑いながら「ああ、そうだねえ、クリスマスに私が望んだ通りに死んだねえ」としか返答しようがないんですよ。そう返答するたびにね、心はだんだんと冷たく硬くなっていきました。その問答をする事自体が罪悪感を抱かない自分への罰のつもりだったんでしょうかねえ。

元旦に納棺式があってね、祖父の死体を見ました。本当に死んでましたねえ。起き上がってこない。脳内は薄汚い嘲笑に塗れているし、こんな事に時間を取られて下らないと思いながら、表面上は神妙な顔つきでねえ。人ひとり死んだというのにねえ。納棺師の方にね、ひとりずつ顔を拭くようにと言われたんですよ。だから顔を拭きました。凹凸のある冷たいただの肉塊という感じでね、人の死なんかこんなもんかと思いました。泣いている叔父を見ながら、実に人間らしい人だと感心したりねえ。父親は泣きませんでしたね、祖父に一番ややこしい感情を抱いているのは父親だと知っていたのでねえ、まあ当たり前だとは思いましたけど。元旦なんてあってないようなもんでね。2019年になったんだかなってないんだか分かりませんね。今でも2019年になったのか分からないんですよ。2018年がまだ続いてるみたいな変な気持ちです。

次の日に葬式があってね、朝から喪服を着て葬儀場に行ってね、受付をしろと言われたので受付をしました。殆ど知らない人ばかりでね、誰が誰なんだか。なんでか分からないけどキリスト教式の葬式でね、祖父はキリスト教徒ではなかったんですけど、まあ葬式なんて残された人間のためにやるようなもんですから、なんでもいいですよ。どうでもよかったです。叔父が私の前にスピーチをしてね、泣きながらスピーチするもんだから皆泣き始めてねえ。やりにくいったらない。私が呼ばれたんで前に出ました。皆私を見ている。なんとか前日に嘘にならない程度のスピーチの内容をひねり出したんで、それを適当に喋りました。本当に適当に、心なんてひとつも篭っていないのに、どうもねえ、私を見ている参列者の目がねえ。善良で素直な孫を求めているような気がしてしまって、しかも親族の顔に泥を塗るわけにもいかない。結局、皆に求められているよい孫をしてしまってねえ、迫真の演技だったかもしれませんね。私にとっては簡単なんですよ、求められている役割を演じる事なんて。人生でそればかりやっていましたからねえ。多少声を震わせて、何を言えばいいのか分からない混乱している感じで程よく言葉に詰まってね、祖父の棺桶を思わせぶりに何度か見つめれば、そうすれば人間は皆騙される。皆、本当に善良なんでしょうねえ。最低だと詰って下さいよ。私はそれを求めているんです。そんな私の最低な言葉のひとつひとつを参列者は頷きながら聞いているんです。泣いている人は泣いているんです。もう途中で参列者を見る事も出来なくなってねえ、目の前にあるマイクを掴んで叫びたくなりました。「私はこの男の死を心の奥底から望んでいたんだ、死んだと聞いた時も笑ったんだ、今表現している気持ちは全部嘘なんだ」とねえ。それでもそれは全くこれっぽちも求められていないもので、だからもうさっさとスピーチを終えてね、早歩きで下を向いて席に戻りました。それもどう解釈されたんだかねえ。式場に響く泣き声をぼんやり聴きながら、困ったなあと一人で考えていてね。喪主の父親が泣くのを我慢しながら話すのを見ながら、この人も人間だったかと思ったりね。まあ複雑な感情を抱いているとはいえ、父にとっては唯一の父だったわけですからねえ。

葬式が終わって祖父が燃やされて骨になるまでの間、私はスピーチを間に受けた他人に慰められて、スピーチを褒められ続けてね。そういう言葉をかけられるたびに心がぐちゃぐちゃに潰されていくみたいでねえ、まあ真実に完全に自業自得ですよ。それが私に用意されていた罰でした。叫ぶ事も叶わない本当の感情は葬って、神妙な顔をし続けた私へのねえ。私が棺桶の中の祖父に最後に心の中でかけた言葉は「私はあなたの事が本当に大嫌いでしたよ」というものだったと言うのにね。骨を箸で摘んで壺に入れて、それで終わり。昨日は終わりました。

そうして今日になって、可愛がっていた文鳥が急死してねえ。昨日の夜まで元気だったのに、急に弱って私の手の中で今朝死にました。正月だから病院にも連れて行けなくて、私は部屋を思い切り暑いくらいにあったかくしてあげて、たまに水をあげて、手で包んで見守るしか出来なくてね。もともと雛の時から身体が本当に弱い子で、換羽をする時の体力もギリギリで手一杯みたいな子でね、3年か4年しか生きられないだろうと思ってはいたんですけど、それでもたった2年ぽっちだなんてねえ。私は他人に感情を見せたくない人間だから我慢したけれど、それでもどうしようもなくてねえ、少しだけ涙が出てしまいました。小鳥の死を見守るのは今まで何度もありましたけど、皆死ぬ瞬間、まるで死に抗うみたいに震えて足掻くんです。それがどうもねえ。最後の瞬間まで立派に生きようとしていたんだろうと思えて、まだ生きていて欲しかったと思って、なんだか言葉にならないですね。ざまあみろと思って心が凍りついていく死もあれば、深い悲しみに包まれて心がドロドロに融解していく死もある。同じな筈なのに、妙な話ですねえ。故郷から脱出する電車の中で、小鳥の事を思って泣きました。泣く資格なんてないのに、泣くなんてね、本当に嫌だった。自己嫌悪が酷くて、生きている資格なんてないと心の底から思いました。祖父が死んだ時は嘲笑していたのにね。

公私の公という縛りがなくなった時、もうどうしようもなくなりそうで、自分のアパートに帰るのがとても怖いんです。だから今トランクを抱えたまま喫茶店にいるんですよ。ただブログを書いている。なんのつもりなんだかねえ。懺悔のつもりか、内罰的な感情か。どっちにせよ、私にそれらをやる権利はない。人間として生きたいと思っていたけれど、今はもうそんな事すら思ってはならないという気持ちが強くてね。酷い話ですよ。本当に酷い話だ。結局狂っていたのは世界でも家庭でもなく、私だったのかもしれませんねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「書いては消す、書いては消すを繰り返す。
私には言葉が足りないと同時に言葉があり過ぎる。それでも尚書いては消し、書いては消し、それが絶望的な作業であったとしても、それを理想へと近付けようと足掻く。私達はそれを繰り返さねばならない。それは業に塗れた作業であって、理想に近付けども理想には決して一致せず、果てには理想が何であるのか分からなくなり、彷徨い、私達はさながら暗闇の中で狭き出口を探す無謀な冒険者だ。完全などあり得ず、それには必ず穴が開き、瓦解していく。その穴の中に指を入れ、ねっとりと熱い内部をかき回すその時に、私は解けて他者への不完全な理解を手に入れるのだ。」

 

昔、ワードで日記を書いていた。見返すとこんな事が書かれていた。内容的に、ちょうど何らかの文章を書いてた時の日記のようだった。今も昔も考えている事はあまり変わらない。周囲に氾濫しているのに全く足りない言葉とそれを基盤としたコミュニケーションの限界を何年も何年も嘆いている。私は目の前の人間を一生完全に理解する事が出来ない。そして私は目の前の人間に完全に理解される事は一生ない。昔はそれがたまらなく哀しかった。いくら不完全な言葉を積み重ねたところで完全にはならず、寧ろ不格好に歪んでいく。いっそ言語なんてなくなってしまえば、全てが融けて混ざり合ってしまえば、どれだけ幸せで楽だろうかと、夜な夜な布団の中で泣いていた10代の頃の私はもういない。

今でも言葉を用いたコミュニケーションは苦手だ。コミュニケーション・ツールとしての言語を上手く扱う事が出来ない。どれを選び、どう並べれば、より真実に近づくのかという事を瞬時に考えるその都度に、私の心はぱつり、と小さな音を立て破裂する。言葉の入る隙間のない、非言語的なコミュニケーションが結局好きだ。不完全な言葉ではどうしても伝えられない感情が、触れ合った指先から、抱き合った身体から、擦れ合う皮膚から、相手の潤んだ目から伝わるその度に、言葉は簡単に居場所を失くし流されてしまう。その情報量に毎回私は圧倒される。言葉は所詮小手先で、どうしようもなく洗練されていない道具なのだと分かってしまうその瞬間が、裏切っているようで、背徳的で、私は堪らなく好きだ。それが怠慢であると言われようとも、瞬間瞬間で揺らぐ言葉を以てして感情を伝えるのは仮初で不安定だとどうしても思ってしまう。それならば、私は黙って相手の身体に触れたい。相手の手を取って万感の思いを込めてそっと頬擦りをしたい。

全てを一から十まで言葉で説明できる程簡単な訳じゃないのだ。どうしようもなく言葉では掬えない何かで我々は構成されていて、言葉で掬えるのは表層のほんの一部だと分かっているからこそ全てが歯がゆい。「海を風呂桶ひとつで汲み尽くせるか」みたいなナンセンスな問題を提出されているようで、しかもそれは可能であるという解答が既に用意されているようで、どうにもこうにも生きにくい。小さな風呂桶ひとつで汲んでも汲んでも海を汲みつくす事なんて出来る筈もないのに、汲める事を期待されているようで、そして実際小さな風呂桶に溜まった海の水を周囲に見せて「これが海です」と言えと強要されているようで、言葉にはいつも罪悪感が伴う。延々と広がり続ける海の前で、私はいつも空の風呂桶片手に呆然と座り込んでいる。どうしようもなくて、何も入ってない空の風呂桶を見せて「これが海です」と言っても、誰もそれを疑わなかった。人々は「それが海ですか」と言って通り過ぎていく。所詮はその程度なのだ。

 

「完全は不可能だ。だが私は書くしかない。喘ぎ、えずき、身を焼く苦しみに悶えながらも、ひたすら正しさを目指し血を吐きながら言葉を紡ぐ。見えぬ世界を恋い慕い、醜く痩せ細り水気のなくなった手を伸ばし、例え目を焼かれ盲になろうとも。私達はそれを宿命づけられた生命なのだから。それを行わねば生きていけないのだから。」

 

昔の日記の最後はこう締められていた。肉を破り侵入し合う事ではなく、皮膚という薄く張り詰めた境界を擦り合わせる事自体が愉悦だ。この肉の重みや熱さは誰にも触れられない、ただ私だけのものであるという事実が美しいのだと分かった時、私は誰とも融け合いたいと思わなくなった。過剰にセンシティヴでウェットだった10代の頃とは最早違う。薄い境界線の向こう側を恋い慕う時、我々は言葉も並行して使用するしかなくなる。人間の非言語的コミュニケーションの足元には結局言語がある。どれだけ不完全であろうが洗練されていない道具であろうが言語は私たちの足元にあって、手ぐすねを引いて私を待ち受けている。

言語からは、どれだけ逃れたくても決して逃れられない。最上の救いであると同時に最強の呪いがかけられた我々は、今日もそれでも喘いでは言葉を紡ぐ。言葉というちっぽけな桶を持って、広大な海を汲む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしようもねえ諸事情によりまーたブログを作り直したぞ。オッスオラだ。みんな元気してっか?オラは元気だぞ。嘘ぞ。あんまし元気じゃねっぞ。とにもかくにも、bienvenue, oui, bienvenue.

というわけであんまし元気じゃないのよね。空が白んできてもうまく眠れないのよね。この落ち込みを全く言語化できない程度には落ち込んでるのよね。あたし元気よ。嘘よ。嘘でも元気って言わないと死んじゃうわよ。アンタ、元気じゃないと戦いに負けるわよ。自慢の技、からげんきよ。やだ、世代が判明するわ。キャー。断末魔よ。

というわけでブログを作り直したというだけの記事です。もうちょっと回復したらまた愚にもつかないようなブログ書きますね。よろしくニャーン。