僕がブクブクしているだけのブログ

何か凄いブクブクしています

 

 

「書いては消す、書いては消すを繰り返す。
私には言葉が足りないと同時に言葉があり過ぎる。それでも尚書いては消し、書いては消し、それが絶望的な作業であったとしても、それを理想へと近付けようと足掻く。私達はそれを繰り返さねばならない。それは業に塗れた作業であって、理想に近付けども理想には決して一致せず、果てには理想が何であるのか分からなくなり、彷徨い、私達はさながら暗闇の中で狭き出口を探す無謀な冒険者だ。完全などあり得ず、それには必ず穴が開き、瓦解していく。その穴の中に指を入れ、ねっとりと熱い内部をかき回すその時に、私は解けて他者への不完全な理解を手に入れるのだ。」

 

昔、ワードで日記を書いていた。見返すとこんな事が書かれていた。内容的に、ちょうど何らかの文章を書いてた時の日記のようだった。今も昔も考えている事はあまり変わらない。周囲に氾濫しているのに全く足りない言葉とそれを基盤としたコミュニケーションの限界を何年も何年も嘆いている。私は目の前の人間を一生完全に理解する事が出来ない。そして私は目の前の人間に完全に理解される事は一生ない。昔はそれがたまらなく哀しかった。いくら不完全な言葉を積み重ねたところで完全にはならず、寧ろ不格好に歪んでいく。いっそ言語なんてなくなってしまえば、全てが融けて混ざり合ってしまえば、どれだけ幸せで楽だろうかと、夜な夜な布団の中で泣いていた10代の頃の私はもういない。

今でも言葉を用いたコミュニケーションは苦手だ。コミュニケーション・ツールとしての言語を上手く扱う事が出来ない。どれを選び、どう並べれば、より真実に近づくのかという事を瞬時に考えるその都度に、私の心はぱつり、と小さな音を立て破裂する。言葉の入る隙間のない、非言語的なコミュニケーションが結局好きだ。不完全な言葉ではどうしても伝えられない感情が、触れ合った指先から、抱き合った身体から、擦れ合う皮膚から、相手の潤んだ目から伝わるその度に、言葉は簡単に居場所を失くし流されてしまう。その情報量に毎回私は圧倒される。言葉は所詮小手先で、どうしようもなく洗練されていない道具なのだと分かってしまうその瞬間が、裏切っているようで、背徳的で、私は堪らなく好きだ。それが怠慢であると言われようとも、瞬間瞬間で揺らぐ言葉を以てして感情を伝えるのは仮初で不安定だとどうしても思ってしまう。それならば、私は黙って相手の身体に触れたい。相手の手を取って万感の思いを込めてそっと頬擦りをしたい。

全てを一から十まで言葉で説明できる程簡単な訳じゃないのだ。どうしようもなく言葉では掬えない何かで我々は構成されていて、言葉で掬えるのは表層のほんの一部だと分かっているからこそ全てが歯がゆい。「海を風呂桶ひとつで汲み尽くせるか」みたいなナンセンスな問題を提出されているようで、しかもそれは可能であるという解答が既に用意されているようで、どうにもこうにも生きにくい。小さな風呂桶ひとつで汲んでも汲んでも海を汲みつくす事なんて出来る筈もないのに、汲める事を期待されているようで、そして実際小さな風呂桶に溜まった海の水を周囲に見せて「これが海です」と言えと強要されているようで、言葉にはいつも罪悪感が伴う。延々と広がり続ける海の前で、私はいつも空の風呂桶片手に呆然と座り込んでいる。どうしようもなくて、何も入ってない空の風呂桶を見せて「これが海です」と言っても、誰もそれを疑わなかった。人々は「それが海ですか」と言って通り過ぎていく。所詮はその程度なのだ。

 

「完全は不可能だ。だが私は書くしかない。喘ぎ、えずき、身を焼く苦しみに悶えながらも、ひたすら正しさを目指し血を吐きながら言葉を紡ぐ。見えぬ世界を恋い慕い、醜く痩せ細り水気のなくなった手を伸ばし、例え目を焼かれ盲になろうとも。私達はそれを宿命づけられた生命なのだから。それを行わねば生きていけないのだから。」

 

昔の日記の最後はこう締められていた。肉を破り侵入し合う事ではなく、皮膚という薄く張り詰めた境界を擦り合わせる事自体が愉悦だ。この肉の重みや熱さは誰にも触れられない、ただ私だけのものであるという事実が美しいのだと分かった時、私は誰とも融け合いたいと思わなくなった。過剰にセンシティヴでウェットだった10代の頃とは最早違う。薄い境界線の向こう側を恋い慕う時、我々は言葉も並行して使用するしかなくなる。人間の非言語的コミュニケーションの足元には結局言語がある。どれだけ不完全であろうが洗練されていない道具であろうが言語は私たちの足元にあって、手ぐすねを引いて私を待ち受けている。

言語からは、どれだけ逃れたくても決して逃れられない。最上の救いであると同時に最強の呪いがかけられた我々は、今日もそれでも喘いでは言葉を紡ぐ。言葉というちっぽけな桶を持って、広大な海を汲む。