僕がブクブクしているだけのブログ

何か凄いブクブクしています

 

 

へっへっへ、どうもどうも。なんかお久しぶりな気がしますけど、まあ実質5日ですか。そんなに経っていませんな。へっへっへ。しかしブログを書くのも久方ぶりですねえ。最後に書いてからまあ色々とありましてね、私の方もね、やれやれと思う事やらなんやらがね。まあいい事はそんなになかったですねえ。色々は色々ですからねえ。

クリスマスがなくてねえ、去年は。節目になる行事を自分なりに解消出来ないのはなんとも気持ちの悪いものでしてねえ。クリスマスは好き勝手に本でも読んで過ごす予定だったんですけど、祖父が手術するってのに母親も父親も病院に行けなくなっちゃってね、それで私の召喚ってなわけでね、朝早くに故郷に帰って夕方遅くに帰ってきたもんですから、折角のクリスマスがパーですわ。まったくもってけしからん、薄情?そんな事あるもんですか、うちの祖父を知らないから、あなたそんな事言えるんですよ。うちの祖父はね、最低な人間ですからね。自分勝手で乱暴で怒鳴ればどうにかなると思っていてね、身内の人間をステータスでしか判断できないし、嫌味な事ばかり言うし、守銭奴で、人間を人間と思っていない人でしたよ。近しい人間の事は自分を満足させるための召使いか奴隷だと思っていた人でね、私は小さい時から本当に祖父の事が嫌いでした。手術が無事成功したと医師から聞いた時ねえ、本当の事を言うと心の底から落胆したんですよ。なんで死ななかったんだ、なんで失敗しなかったんだ、と思ってね。眠る祖父の横に座っていながら、死ななかった祖父を睨み続けていました。人工呼吸器も輸血パックも生体情報モニタも全部が憎くてねえ、上部では祖父の腕を握って手術成功してよかったねと言ってね、でも心の中では真逆の事を考えていました。まあ手術自体が死ぬような内容でもなかったですからねえ、病気でもなんでもない、怪我に関する手術だったんで落胆するだけ期待しすぎでしたね。私は小さい時からこんな人間でしたよ。昔から親族が皆早く死なないかなと思っていました。自由になるにはそれしかないと信じ込んでいました。まあ、昔から憎んでいたんでしょうね、祖父の事を。ええ、そんな感じで去年のクリスマスが上手く過ごせなくて本当に落胆したという話がまずひとつあってね、え、祖父ですか。死にましたよ。

いやはや、簡単な怪我の手術だし、しかも前日までピンピンしてると聞いていたんでね、30日の朝早くに連絡が来た時は笑ってしまいました。「ざまあないわ」と呟いてまた笑いました。酷い孫がいたもんですねえ。曲がりなりにも人が、しかも自分の祖父が死んだと言うのに、最初に思ったのが「ざまあないわ」だなんてねえ、しかも笑いながら。いいですよ、分かってますから、最低なのは知っていますから、いくらでも責めてもらって構いません。寧ろ責めてもらった方が楽なんですよ。困った事にね。

まあそんなこんなでバタバタとねえ、実家に帰って葬式の準備でしょう。喪服を買ってあれもこれもとしてね、葬式で孫代表でスピーチをしなさいと言われてね、最初は断ったんですよ。だってそんな場で話せるような思い出がそもそもないですし、何より憎んでいた相手を偲ぶような事なんて口が裂けても言えないですからね。不誠実で嘘でしょう、そんなの。自分が後からきつくなるだけだと分かっていたんでねえ。でも他に誰もいないと言われちゃって、了承してしまってね、母親に頼まれるとつい了承してしまうのは本当に私の悪い癖で、心のどこかではまだ愛されたいのかもしれませんねえ。まあ葬式のスピーチなんてまあ短いもので、5分以内でと言われて色々考えたんですけど、本当に言えるような思い出がなくてね。困ったなあと頭を抱えました。暗い中ぼんやり天井を見つめながら考えたくもない死んだ祖父の事を考えてました。死の匂いがしましたねえ、流石にね。

隣人は清廉潔白でねえ、隣人っても本当に隣に住んでる人じゃないですよ、物の例えですよ。或いは上からの自分の声とでも言いましょうかね、取り敢えず自分の清廉潔白な部分がね、繰り返し繰り返し責めるように言うんですよ、「お前の望み通りにあの男は死んだぞ」。罪悪感を抱きたかったんでしょうかね、他人の死を望むというのは良くない事ですから。他人を最大限に呪うわけですから。昔から死を望んでいた人間が実際死んだ時にねえ、罪悪感を持たないなんてねえ。でもねえ。でも、いくらそう言われても罪悪感なんてこれっぽっちも湧いてこないんですよ。何度繰り返し「死を望んだ人間が本当に死んだぞ、どうだ」と言われてもね、ヘラヘラ笑いながら「ああ、そうだねえ、クリスマスに私が望んだ通りに死んだねえ」としか返答しようがないんですよ。そう返答するたびにね、心はだんだんと冷たく硬くなっていきました。その問答をする事自体が罪悪感を抱かない自分への罰のつもりだったんでしょうかねえ。

元旦に納棺式があってね、祖父の死体を見ました。本当に死んでましたねえ。起き上がってこない。脳内は薄汚い嘲笑に塗れているし、こんな事に時間を取られて下らないと思いながら、表面上は神妙な顔つきでねえ。人ひとり死んだというのにねえ。納棺師の方にね、ひとりずつ顔を拭くようにと言われたんですよ。だから顔を拭きました。凹凸のある冷たいただの肉塊という感じでね、人の死なんかこんなもんかと思いました。泣いている叔父を見ながら、実に人間らしい人だと感心したりねえ。父親は泣きませんでしたね、祖父に一番ややこしい感情を抱いているのは父親だと知っていたのでねえ、まあ当たり前だとは思いましたけど。元旦なんてあってないようなもんでね。2019年になったんだかなってないんだか分かりませんね。今でも2019年になったのか分からないんですよ。2018年がまだ続いてるみたいな変な気持ちです。

次の日に葬式があってね、朝から喪服を着て葬儀場に行ってね、受付をしろと言われたので受付をしました。殆ど知らない人ばかりでね、誰が誰なんだか。なんでか分からないけどキリスト教式の葬式でね、祖父はキリスト教徒ではなかったんですけど、まあ葬式なんて残された人間のためにやるようなもんですから、なんでもいいですよ。どうでもよかったです。叔父が私の前にスピーチをしてね、泣きながらスピーチするもんだから皆泣き始めてねえ。やりにくいったらない。私が呼ばれたんで前に出ました。皆私を見ている。なんとか前日に嘘にならない程度のスピーチの内容をひねり出したんで、それを適当に喋りました。本当に適当に、心なんてひとつも篭っていないのに、どうもねえ、私を見ている参列者の目がねえ。善良で素直な孫を求めているような気がしてしまって、しかも親族の顔に泥を塗るわけにもいかない。結局、皆に求められているよい孫をしてしまってねえ、迫真の演技だったかもしれませんね。私にとっては簡単なんですよ、求められている役割を演じる事なんて。人生でそればかりやっていましたからねえ。多少声を震わせて、何を言えばいいのか分からない混乱している感じで程よく言葉に詰まってね、祖父の棺桶を思わせぶりに何度か見つめれば、そうすれば人間は皆騙される。皆、本当に善良なんでしょうねえ。最低だと詰って下さいよ。私はそれを求めているんです。そんな私の最低な言葉のひとつひとつを参列者は頷きながら聞いているんです。泣いている人は泣いているんです。もう途中で参列者を見る事も出来なくなってねえ、目の前にあるマイクを掴んで叫びたくなりました。「私はこの男の死を心の奥底から望んでいたんだ、死んだと聞いた時も笑ったんだ、今表現している気持ちは全部嘘なんだ」とねえ。それでもそれは全くこれっぽちも求められていないもので、だからもうさっさとスピーチを終えてね、早歩きで下を向いて席に戻りました。それもどう解釈されたんだかねえ。式場に響く泣き声をぼんやり聴きながら、困ったなあと一人で考えていてね。喪主の父親が泣くのを我慢しながら話すのを見ながら、この人も人間だったかと思ったりね。まあ複雑な感情を抱いているとはいえ、父にとっては唯一の父だったわけですからねえ。

葬式が終わって祖父が燃やされて骨になるまでの間、私はスピーチを間に受けた他人に慰められて、スピーチを褒められ続けてね。そういう言葉をかけられるたびに心がぐちゃぐちゃに潰されていくみたいでねえ、まあ真実に完全に自業自得ですよ。それが私に用意されていた罰でした。叫ぶ事も叶わない本当の感情は葬って、神妙な顔をし続けた私へのねえ。私が棺桶の中の祖父に最後に心の中でかけた言葉は「私はあなたの事が本当に大嫌いでしたよ」というものだったと言うのにね。骨を箸で摘んで壺に入れて、それで終わり。昨日は終わりました。

そうして今日になって、可愛がっていた文鳥が急死してねえ。昨日の夜まで元気だったのに、急に弱って私の手の中で今朝死にました。正月だから病院にも連れて行けなくて、私は部屋を思い切り暑いくらいにあったかくしてあげて、たまに水をあげて、手で包んで見守るしか出来なくてね。もともと雛の時から身体が本当に弱い子で、換羽をする時の体力もギリギリで手一杯みたいな子でね、3年か4年しか生きられないだろうと思ってはいたんですけど、それでもたった2年ぽっちだなんてねえ。私は他人に感情を見せたくない人間だから我慢したけれど、それでもどうしようもなくてねえ、少しだけ涙が出てしまいました。小鳥の死を見守るのは今まで何度もありましたけど、皆死ぬ瞬間、まるで死に抗うみたいに震えて足掻くんです。それがどうもねえ。最後の瞬間まで立派に生きようとしていたんだろうと思えて、まだ生きていて欲しかったと思って、なんだか言葉にならないですね。ざまあみろと思って心が凍りついていく死もあれば、深い悲しみに包まれて心がドロドロに融解していく死もある。同じな筈なのに、妙な話ですねえ。故郷から脱出する電車の中で、小鳥の事を思って泣きました。泣く資格なんてないのに、泣くなんてね、本当に嫌だった。自己嫌悪が酷くて、生きている資格なんてないと心の底から思いました。祖父が死んだ時は嘲笑していたのにね。

公私の公という縛りがなくなった時、もうどうしようもなくなりそうで、自分のアパートに帰るのがとても怖いんです。だから今トランクを抱えたまま喫茶店にいるんですよ。ただブログを書いている。なんのつもりなんだかねえ。懺悔のつもりか、内罰的な感情か。どっちにせよ、私にそれらをやる権利はない。人間として生きたいと思っていたけれど、今はもうそんな事すら思ってはならないという気持ちが強くてね。酷い話ですよ。本当に酷い話だ。結局狂っていたのは世界でも家庭でもなく、私だったのかもしれませんねえ。